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月別アーカイブ: 7月 2023

読書感想

毎日、熱い日が続く。
天気予報も、真っ赤。

「どうする財源ー貨幣論で読み解く税と財政の仕組み」著者:中野剛志、祥伝社、という本を読んだ。
著者の記事をWebで読んだり、動画を見たりしていたので、ある意味、復習的な読書でもあった。

政府において財源は何なのかを、貨幣論等を通じで説明した本。
政府の財源は何なのか、それは、「政府の需要」とのこと。
資本主義における政府の場合、政府に需要が生じれば、中央銀行(日本だと日本銀行)が政府に貸し出し、中央銀行の信用創造によって貨幣が創造され、その貨幣が政府事業の財源となる。
政府が負債を負うことで、貨幣が発行される。
つまり、政府の財源=中央銀行の貨幣創造=政府の需要、ということになる。

政府は、このようにして発行された貨幣を支出に充て、それが民間に流通し、政府が徴税をする。
つまり、政府支出が先、税金は後となる。

というわけで、我が国において、政府の財源は、政府の需要、政府と日銀の協働による貨幣創造(信用創造)ということになる。
ようは、政府そのものが財源、と言ってしまってもいいのだろう。
というわけで、財源のために増税とか、こちらの予算を増やすためにあちらは削る、といった議論は、間違っている、ということになる。
これから、騙されないようにしようと思う。


先日、予約の上、某銀行の某支店に行って、成年後見届の手続きをした。
その支店に備えてあるモニターを使って、成年後見事務を扱うセンターとの間でのリモート手続きだった。
こちらは、ヘッドフォンをする。
書類等は、スキャナ台において、銀行側がスキャナする。
記入して提出する書類は、席の隣にあるプリンタから印刷されて出てきたり、備え付けの棚に入っていたりして、それに記入して、スキャナ台において、銀行側がスキャナする。
最後に、書類をまとめて、備え付けの袋に入れて、備え付けの提出用の箱に入れて、これで終了。
へえ、そんな感じなんだ。

緑茶か麦茶か

今日も熱い東京。
八王子では、39.1度で、今年の全国最高気温を更新とか。
立川でも、38度。
体温より高くなっている。
調べていないが、湿度はどれくらいなのだろう。
天気予報を見ると、夜になっても、気温はそんなに下がらないみたい。

熱中症対策で水分補給を、という。
自分は緑茶が好きで、緑茶ばかり飲んでいるが、緑茶にはカフェインがあり、利尿作用があるため、熱中症対策としては飲まない方がいいとのこと。
(えええ…)
麦茶には、カフェインがないため、熱中症対策には麦茶の方がいいとのこと。
ただ、麦茶には塩分がないので、汗をかいたときは特に、塩分のある食べ物を食べながら飲むといいとのこと。
日本では、夏に冷たい麦茶は定番だが、それにはこういう理由もあるのだろうか。

一方で、研究において、お茶のもつ利尿作用は過度に心配する必要はないことが分かってきたとのこと。
また、カフェインの利尿作用はすぐに耐性がつくと分かっているとのこと。
お茶を習慣的に飲んでいる人に働く利尿作用はわずかなもので、水分補給にお茶を飲んでも問題はない、豊富なミネラルを含むお茶は熱中症対策になる、というような記事もあった。

これを信じるならば、緑茶のカフェインについて、そんなに気にしなくてもいい、ということか。
飲みたい方を飲んでいればいい、ということで。


 

マクロとミクロ

今日も暑い東京。

福岡県や佐賀県等で大雨が続き、土砂崩れ等が起こったとのこと。
ニュースを動画で見ていた。

不動産登記の申請人が法人で、書類の中に、会社法人等番号が記載されていたので、そのとおり申請書を作っていた。
が、桁数があわなく、この法人番号は何だ?となって調べたところ、これは、国税庁の指定した法人番号で、登記の時に必要な会社法人等番号ではなかった。

会社法人等番号は、申請書に記載(申請情報に記録)されていればよく、委任状等に記載されていなくてもいい、ということなので、法人が交付する委任状に会社法人等番号が記載され、それが間違っていたとしても、補正の対象にはならないでしょう。


経済の話を聞いていて、ハッとさせられたことの一つが、「政府の財政と家計や民間企業の会計を同じように見てはならない」ということだった。
マクロ(政府の財政)とミクロ(家計等)は別。

自分も当初、政府財政を家計と同じように考えていた。
だから、税金の無駄遣い、という発想もあった。
(このときは、税が財源だと思っていた。)
でも、マクロとミクロを一緒にしてはならない、という話を聞いたとき、なるほど、と思った。
政府には通貨発行権があるでしょう、と。

政府財政を、家計と同じように考えるのが、緊縮財政だと思う。
これに税が財源という論が加わり、税金の無駄遣い、という考えになる。
しかし、政府支出により、国民の所得・資産が増えるので、無駄遣いといって政府支出を減らすことは、国民の所得・資産を減らすこととなる。
つまり、ミクロで見たら無駄の削減は正しいのかもしれないが、マクロで見たらそれが正しいとは限らない(むしろ間違っている)。
そういうわけで、マクロとミクロを同一視してはならない。


信用創造〜司法書士業務を通じて〜

経済に関する投稿が続く。
結構重要だと思うので、ネットなんかで、適宜勉強しているところ。

信用貨幣論
貨幣は負債によって創出され、貨幣はその借用証書、とのこと。

これが重要だが、これを前提に。


信用創造
銀行は、貸付により、預金という貨幣を発行できる。
これを、信用創造という(万年筆マネー)。
今の社会において、預金での取引が約80%とのこと。

銀行が借主に500万円を貸すとする。
ここには、借主が債務不履行にならないという信用が必要。
このとき、銀行は、実際に現金を渡すわけではなく、500万円と端末に打ち込むだけ。
それにより、借主の口座に500万円が入金され、500万円の預金と言う貨幣が発行される。
つまり、銀行は、貸付により、何もないところから預金という貨幣を生み出すことができる、無から有を創造することができる、ということになる。

銀行は、預金者から集めた預金を貸し出している、というのは誤り、とのこと。
自分も、そんなふうに思っていたが、これは誤り。



司法書士として、決済の場に立会うことがある。
例えば、ある人が、住宅ローンを借りて、自宅を購入し、金融機関がその自宅に抵当権を設定するというような、その残金決済の場に立会うことがある。

自宅の買主は、銀行から住宅ローンを借りているが、銀行が買主(ローンの借主)の口座に借入金を振り込んでいるだけで、現実に現金を貸しているわけではない。
銀行が借主に現金を渡しているところは、見たことはない。

なので、銀行が貸し出すだけで、預金が創出される、という理屈は分かる。
が、これが預金という貨幣の創造、とは思いも寄らなかった。

抵当権は、借主が債務不履行になった場合、競売等して換価し、優先弁済を受けるための約定担保物権であり、不動産に抵当権を設定した場合は、その登記をする。
つまり、銀行が抵当権を設定するということは、これで借主の信用を担保している(信用創造の信用に当たる)とも言えるのかな、となんだか納得した。

税は財源ではない

九州の方では、大雨が続いているとのこと。

立川にある、パレスホテル立川が、2023年12月31日をもって、営業を終了するとのこと。
総会の会場で使っていたけど、これから、使えなくなる。
パレスホテル立川は、プロ野球の西武戦のときの宿泊地に利用されている。
パレスホテルがなくなったら、どこに宿泊するのだろう。


「政府において、税は財源ではない、税によって支出しているわけではない」
ここ何年かで、目からうろこと言うか、そう言われたらそうだ、と思ったことが、これ。

なぜか知らないが、政府は税金を集めて、それを使っているもんだと思い込んでいた。
でも、そうではないと。

例えば、所得税。
令和5年度の国家予算は、令和4年度に決まる。
一方、令和5年度の所得税が確定するのは、令和6年の2月から始まる確定申告であり、それ以降に、所得税を払う。
なので、税が財源というならば、政府による令和5年度の予算執行(支出)は、本年度の所得税等の国税が納付されるまでできないということになるが、そんなことはない。
それに、遡って、明治政府ができたとき、税が財源なら、政府はどうやって支出をしたのか。
国民が税金を払うための通貨(貨幣)はどうやってできたのか。

こういうことを聞いたら、そりゃそうだ、となった。
そこから、いろいろ話を聞くと、なるほどと思った。
そうだとすると、実は、日本に財政問題はない、ということになる。

細かいところはともかく、政府が国債等発行することにより支出を行い、これにより通貨が発行され、国民の手元に来て、それにより納税する。
つまり、政府支出が先(スペンディングファースト)ということ。
政府には通貨発行権(権利ではなく権力)がある。

だから、税金の無駄使いはいけない、ということを聞くが、これは的外れ、ということになる。

では、税金はなんだというと、政策調整とのこと。
例えば、税金によって、過度なインフレにならないようにする。
所得税や法人税は、景気の変動をならす機能がある(ビルトインスタビライザー(自動安定化装置))。
通貨・貨幣の裏付け(通貨発行権力と徴税権力は表裏一体)。
(政府が税金を「円」で徴収するので、納税者には通貨の「円」が必要だし、貨幣に価値が発生し、貨幣が流通している必要がある。)


細かくきちんと勉強したわけではないが、今のところ、大雑把だが、これくらいまで理解が追いついている。