空気と水
「「空気」の研究(著者は山本七平、文芸春秋)」という本を読んだ。
日本社会では、「その場の空気」で物事が決まる。
では、その「空気」って何なのか、という本。
日本社会は、その場の空気が支配する。
物質に、何かの臨在感を感じ、それに感情移入をし、それで生じる空気に支配される。
(白骨があったら、そこに臨在する「死」を感じ(死は、穢れ、不浄にも繋がる)、そこから生じる「死(穢れ、不浄)の空気」に支配される。)
理論や理屈があっても、それとは無関係に、「空気」が支配する。
その空気に対して「水を差す」者が現れ、それにより、現実に帰り、通常に戻る。
だから、空気拘束主義者は、「空気を読め、KY」とかいって、水を差す者を罵倒する。
でも、空気に支配された社会を日常に戻すには、水を差し続ける必要がある。
空気は日本教ともいえ、この空気と水の循環が、日本の社会を作っている。
同調圧力やその場のノリ、というのも、この空気の支配のことだろう。
コロナの時も、これが当てはまり、空気が支配していた。
コロナに対して、何か得体のしれない恐怖を感じ、それに支配される。
(メディアがコロナを煽り、政府の政策もその原因ではあろう。)
そのコロナの空気に、一部の専門家等は、科学的な見地から、おかしいよ、と水を差す。
しかし、空気に支配された者達は、そんなことはおかまいなしに、水を差す者を叩く。
だから、水を差す者は少なくなり、「そんなことを言える空気ではない」と、だんまりを決め込む。
(テレビでは発言できなくなり、インターネット上でも動画がバンされる。)
時が経ち、状況が変わったら、この空気もコロッと変わる。
実際、コロナが終わった?となったら、コロッと変わった。
水を差す者達の言っていたことが正しいと分かっても、空気に支配されていた者達は、自分たちの言動の過ちを認めず(というより、過ちだとは思っていないのだろう)、「あのときは、ああいう空気だった」という。
また、その空気がおかしいことは分かっていても水を差さなかった(何も発言しなかった)者達も、「あれはおかかしかった、間違っていた」等と発言をし出す。
「何であのとき言わなかったのか」と言われると、「あのときは、そんなことを言える空気ではなかった」という。
この空気と水の関係は、2:6:2の法則も当てはまるのではないかと思った。
2:6:2の法則とは、働きアリの法則とも言われ、どんな組織も、上位2割、中間6割、下位2割となる、という組織論のこと。
空気の支配から見たら、8割が空気に支配される者、2割が水を差す者になるのではないか。
ワクチン接種率8割と聞くが、この観点からみると、妙に納得できるのである。
ちなみに、単行本は1977年4月に文藝春秋から刊行され、本書は、1983年10月に刊行された文春文庫の新装版で、2008年12月10日が第1刷で、2025年2月20日で第7刷、とのこと。
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